
喜怒哀楽25号 4月10日発行
![]() 探訪漢学の里 諸橋轍次記念館 「大漢和辞典」の編纂で知られる諸橋轍次博士の故郷、旧下田村の山間にひっそりと佇むのが、「漢学の里 諸橋轍次記念館」です。煉瓦造りの建物の玄関壁面には、博士の座右の銘である「行不由径」の文字。記念館を中心に、村の指定文化財である博士の生家、東京の諸橋邸より移築された「遠人村舎」(「大漢和辞典」の編纂所。諸橋邸の別邸であった)や、漢・和庭園が整備され、庭園には博士が幼いころ母より聞かされ親しんだ「西遊記」の像と噴水が。広いエントランスホールへ入ると、その正面奥では在りし日の博士の銅像が温かく迎えてくれます。博士の遺品・遺墨、「大漢和辞典」編纂に使用した道具の数々の展示を始め、上映室では博士の生涯を上映。展示室では、コーナーごとに自動でビデオの上映が始まるので、それを見てから回るとより理解が深まるでしょう。三千冊余の「諸橋文庫」を中心とした図書室や漢字ゲームも設置され、訪れる人を飽きさせません。この他、研修室・多目的ホール・和室があり、幅広い利用が可能です。 諸橋轍次博士は、明治16(1883)年、新潟県南蒲原郡四ツ沢村(旧下田村、現三条市)に諸橋安平・シヅの次男として生まれます。幼いころより、父から「三字経」の素読を学ぶなど漢学に親しみ、その後も漢学の研究に明け暮れます。東京高師卒業後、都内の大学教授を経て、戦後は都留文科大学学長に就任。この間50余年にわたり儒学を研究、大漢和辞典編纂という偉業を成し遂げました。青年時代、中国にも留学。このとき満足できる辞書がなかったことが、「大漢和辞典」の製作に繋がったと言われています。途中、東京大空襲により「大漢和辞典」全巻の組版と資料の焼失。その後、原字製作を写真植字の発明者、写真植字機研究所長石井茂吉氏に依頼し再開するも、右目を失明するなどの困難を経て全13巻が完結したとき(昭和35年)、博士は78歳でした。昭和40年には文化勲章を受章。亡くなる直前の昭和57年11月には、「大漢和辞典」のファミリー版である「広漢和辞典」も刊行。そして、昭和57年12月8日、博士は100歳で永眠。亡くなるまでに遺した数々の著書や書跡、日記等からは博士の慈愛に満ちた人柄が偲ばれます。博士は故郷を想い、次の和歌を詠まれました。「幾十多飛 夢に通いし 故さとの 水はうるはし 山はうるはし」 文学を愛し、郷里をこよなく愛した博士は、今なお村民に深く敬慕されています。 記念館を訪れたとき、辺りはまだ雪景色でした。新潟県の広さと共に、漢学・漢字の世界の奥深さを改めて認識したひと時でした。 開館時間 9:00〜17:00(入館は16:00まで)
休館日 月曜日(祝日の場合その翌日)、年末年始(公官庁に準ず)
入館料 一般・高校生500円、小・中学生200円(団体割引あり)
所在地 〒955-0131 新潟県三条市庭月434 TEL・FAX0256-47-2208 |












お客さま担当
O型、大型、大雑把。丁寧にじっくりと、いつも思っているのですが・・・。お客様とのお話に、仕事を忘れる…