内藤明子様

『歌集 勿忘草』(東京都・渋谷区)

昨年10月に『歌集 勿忘草』を発行した内藤明子さんにお話をお聞きしました。

 

▲行動も素早く話題も尽きることのない内藤さん

 

待ち合わせ場所で既にいらしていた内藤さんに声をかけると「木戸さんちょっと待ってて!」と。見ればイヤホンで何かを聞いている。数分後「ごめんなさい、毎日聞いているきよし君のラジオがこの時間なのよ」と晴れやかな笑顔でやって来る。開口一番、ラジオ深夜便で流れているきよし君こと、歌手の氷川きよしの歌の話題となり、歌詞があまりにも素敵で(若者に人気の音楽グループGReeeeNの手による)、昨日書き写したという紙片をプレゼントしてくださる。

Q 熱烈なファンなのですね!

嫌味がなくて本当にいい方、とにかく人柄が好き。こんなにのめりこむとは夢にも思わなかった。この度の歌集『勿忘草』は去年、夫の7回忌を前に自身も80歳になることから、歌の世界に導いてくれた姑と母への恩返し、そして80年つつがなく生かされている感謝の気持ちから生きた証を残そうと思った。今はこんなに元気にしているが、主人が逝ったあとは大変だった。朝起きれば涙が出る、お線香をあげれば涙が出る、もう病気、うつだったと思う。

召されしを現実と思へさとされて目覚めて淋し夢のあとさき

 

 

Q 昔から短歌を?

姑は「アララギ」に、母は「形成」(後に「波濤」)に所属していたから、何らかの影響を受けていたと思う。自身ががさつ故、昔から厳かなものに憧れるところがあった。日本古来の美しい文語体の和歌に惹かれ、後を追う形で「形成」に入会したが、夫の転勤を機に継続が難しくなり断念。以来約半世紀、どこの結社にも属さず指導も受けず、日々のなぐさめとして日記の片隅に思いつくままの歌を記してきた。そんな時、子ども二人が背中を押してくれ、たまたま長男がめぐり合った御社の「抱きしめたい本づくり」というコンセプトに心動かされ決心した。

浜木綿の早やも素枯れて横須賀の海の辺恋ふる共に見し夕べ

 

 

Q それからは順調に?

投稿した10年分の『形成』は転居先にも持参し、途中からは荷物にならないよう自分のページを破いて持ち歩いた。母たちには及ばずながら、いつかは歌集を出したかったのかも。でも大変だったのは『形成』以降の歌。今でも息子に「一冊のノートを持って歩けばいいのに」と言われるが、なんでも書かないと気が済まないから、どこのテーブルにも書くものが置いてある。それなのにどこに書いたか一つもわからない(笑)。書き散らした歌を集め清書したものの、どうまとめていいのやら。でもやると決めたら早い。何でも待ったなし、がむしゃらなの。だからすぐに原稿を送ってあとはお任せ。旧かなと新かな、文法に送り仮名と、御社には大変お世話になりました(笑)。

若き汝を励まし帰す地下鉄のコインは哀し音たてて落つ

 

 

▲何にでもびっしりとメモ書きが

 

 

Q 完成した本はいかがでしたか?

「これどなたの御本かしら?」と思うほどいい出来で、感激一入、びっくり仰天だった。内容はさておき、差し上げた人も、表紙と見返しの色のバランスもなんともいえず美しいと誉めてくださった。母の歌集と同じような装丁をお願いしたが、自分としても大満足だった。

十五夜の月まんまるとのぼり来ぬ孫のお迎へ楽しき夕べ

 

▲『勿忘草』の字は雅号を持つご兄弟の手による

 

Q これからは

私の歌はただごと歌。でも、歌と信仰(クリスチャン)に支えられて生きてきた。夫亡きあとはさらにきよし君が加わり、日々心ときめいている。この歳だからこそ胸がキュンとなる何かが大事としみじみ思う。奥ゆかしい和歌と、美術、音楽、書物、そしてきよし君といった美しいものに触れ、胸のときめきを持ち続けていたい。

氷雨降る師走の街のぬくもりよ君熱唱す涙も添へて

 

 

☆今までは昼専門だったきよし君のコンサートも、一度夜にうかがったら若い人も多くてノリノリ。以後「お昼はおばあさんばっかりだから!」と夜専門に(笑)。とにかく何でも一所懸命で真面目なのにユーモアたっぷり。見せていただいた手帳もかなり予定がびっしり。「明日は息子とうなぎを食べにいくのよ!」。何度でもお会いして大笑いしたい内藤さんです。(木戸敦子)

 

~息子さんのあとがきより~

内藤家の子供の教育担当は父ではなく専ら母の役割だった。母には、何でも紙に書く記録癖がある。だから子供の頃は、とにかく何でも書いて学ぶことを教えられた。この記録することへの関心は私のDNAにもしっかり受け継がれている。(長男)

今、自分が子育てをする中で、母が僕にかけてくれた言葉と同じような言葉を時に子どもに向かって語りかけていたりする。「そうやって、人の存在はつながっていくものなんだなあ」と改めて思う。(次男)