上林 洋子 様(新潟市・東区)

『歌集 かたくりの花』

 

▲上林洋子さんと4代目の盲導犬ユズ

 

今年4月『歌集 かたくりの花』を上梓した上林洋子さんは、全盲になられてから短歌を詠み始め45年。日常や歌集のこと等、お話をお聞きしました。

 

Q 幼いときの話から

終戦の年、昭和20年10月新潟県の旧京ヶ瀬村(現阿賀野市)で生まれました。上に姉がおり、また女の子ということで父はとても落胆し、幼い頃は「お前は木の股から生まれた」という言葉を信じていました(笑)。終戦後、父は生き方が変わり何もしなくなったので、母は姉一人、弟二人の4人の子どもを抱え、畑仕事と和裁で細々と生計を立てていました。強度近視で小学4年から眼鏡を着用、今考えれば緑内障の眼圧の発作だったのでしょう、中学3年の授業中に強い頭痛が襲い保健室に運ばれたこともありました。その後も度々ありましたが、貧しかったので親が心配しないよう、痛いときはじっと我慢してやり過ごしました。

縫い糸のほろほろ解けゆく哀しさよ亡母縫いくれし祭りの浴衣

 

Q 近視ではなかったということ?

高校も行けないなら、早く家を出たいと思い、15歳で上京し川崎の准看護師養成所へ。半年ほど経った頃、突然教務室に呼ばれ「あなたの目の病気は何か知っていますか」と、そこで初めて緑内障の診断を受けました。新潟に帰り、父と大学病院の眼科に行くと医師が「どうしてここまで放っておいたんだ、親の責任だ」と叱責しました。すぐに手術をして半年入院、養成所へ戻れるという期待は叶わず、1年遅れで盲学校に入学。さらに2年間で鍼灸師の資格を取り、そのお金は父が出してくれました。

見えし日の想いの残るネクタイを父の形見の中よりもらう

その後、盲学校で弱視の夫と出会い結婚、一緒に治療院を開業。二人目の子が生まれた27歳のとき、夜泣きをする息子にミルクを与えようとすると、前の晩まで見えていた哺乳瓶の目盛りがどうしても見えない。220㎖のミルクが作れないのです。ついに見えなくなったと思うものの、二人の子どもを抱え待ったなし。220㎖はわからなくても牛乳瓶200㏄+スプーン一杯位、すべてこれでいけばいいと思ったのです。そんな試行錯誤の繰り返しで生きてきたように思います。

眠りたる吾子の口元まさぐればミルクに濡れてやわらかきかな

 

Q 短歌との出会いは?

子育て中も手術を繰り返しているとき、ヘルパーさんに「辛いときは短歌を詠むといいわよ」と勧められました。当時聞いていた朗読図書で、窓一つしかない獄中の死刑囚が、瑞々しい短歌を詠んでいることに感動し、光が差したのです。見えていた過去と見えなくなった今がある。記憶を呼び覚ましながら、過去と今とをつなぎ合わせれば、私にしかできない表現がきっとある、と。作った歌は最初はテープに録音、子どもが大きくなると子どもに書いてもらい、今は音声を頼りに操作可能なパソコンを駆使し、自分で文字の処理ができるようになりました。

度重なる手術の際、麻酔ショックで気絶したことも。「麻酔で命を落としたらどうする」という夫の言葉に散々抵抗しましたが、両眼摘出を決意しました。

我のみの知れる哀しみ両の眼の義眼洗いて包みて眠る

この時の歌が毎日新聞社が発行する「点字毎日」の年間賞を受賞しました。

 

Q 今回の歌集上梓はなぜ?

夫が「まとめて形になるものにした方がいい」と背中を押してくれました。詩吟の先生でもあった夫は今までお世話になった方を呼んで、私の歌を朗詠することが夢だったのです。でも今年3月、間質性肺炎で亡くなりました。病床でも「出版記念会の予約はしたか

?」とずっと気にかけ、出版の目途がついたことを伝えると、涙を流して喜んでいました。

 

▲家族や生活の歌650首を収めた『歌集 かたくりの花』

 

Q これからは?

4月に夫を亡くし、6月には期限満了で3代目の盲導犬ともお別れ、今はこの4代目のユズを杖に暮らしています。東京の息子は「こっちに来て一緒に住もう」と言ってくれますが、ユズは初めて会った瞬間、魔法にかけられたみたいに私の足元にまとわりついてきたんです。助け合う仲間も大勢いるし、この子と一緒に生きていこう、今はそう思っています。これから挑戦したいことは、スマートフォン! 様々なアプリを活用すれば、まだまだできることが広がる気がします。

人生のとどのつまりは皆ひとり一合に満たぬ明日の米研ぐ

 

★本当は教員になりたかったという上林さん。49歳で盲導犬を迎えてからは毎朝45分の散歩で足腰を鍛え、富士山や立山等多くの山を踏破している。優しい語り口の端々に賢さがにじみ、「やればできる」を信条にした創意工夫と数々の経験が、今の上林さんを形成している。幾多の厳しい現実を生き抜いてきた強さと潔さ、よりよい人生に向けチャレンジする精神、わが身を恥じ入るばかりだった。(木戸敦子)