「東京ふうが」お茶の水俳句会

指導 蟇目良雨 様(東京都・文京区)

 

 5月13日(月)、文京区民センターで行われた「東京ふうが」お茶の水俳句会にお邪魔しました。昭和57年、俳誌「春耕」顧問の故高木良多氏によって神田駿河台下で産声を上げたこの「お茶の水俳句会」は、本日、令和元年最初の5月句会で410回を数えます。

 現在指導に当たっておられるのは、「春耕」同人・編集長の蟇目良雨様。有季定型の伝統俳句を根底に、都会の郷愁を掬い取って俳句に結実させるべく活動を続けています。

 

▲俳画もお手の物の蟇目良雨様

 

 本日は「修司忌」「四月尽」「祭」の兼題3句と、席題「繭」ほか当季雑詠の計6句出句の5句選。席題である「繭」の現物が手元に回ってきて、それを見ながら即興で「繭」の句を作り、選句もし、となかなかに忙しい。蟇目様より「繭」に関して「小さい頃、近くに乾繭所があったが、蚕を育てた経験のある人、ない人がいる。あまり生活に密着していない季語だから難しかったと思う。松谷さん、刺激的な席題でしたね(笑)」とご挨拶。披講に続き、特別選者4名が特選3句を選ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲平成17年発刊の季刊俳誌「東京ふうが」(B5判)は現在通巻56号

見本誌1冊500円(切手可)

申込 112-0001 東京都文京区白山2-1-13 東京ふうが社

 

  • 松谷富彦 特選

古書街をくの字曲りに山車を曳く          良雨

お神輿や揺さぶるほどに町の沸く          綾子

夏祭いなせな鳶の木遣り唄        まさみ

 

  • 深川知子 特選

千代紙の小箱に捨蚕匂ひけり      瑛子

 最後の匂ひけりと、千代紙という可愛い小物の取り合わせがいい。嗅覚の効いた句。

隠れ吸ふ煙草にむせぶ修司の忌             良雨

 修司が煙草を吸っている写真があったように思う。修司忌のお手本みたいな句で「隠れ吸ふ」が修司らしいと感心した。

日輪の溺れるほどに田水張る      絵津子

一つ家をまるまる映し代田水      若子

 両句ともとても気持ちのいい句で、どちらにしようか迷ったが「溺れるほど」という表現でこちらをいただいた。でも、本当に一つ家も捨てがたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 乾佐知子 特選

民話聞く真白き繭を手のひらに              知子

 民話と繭という言葉をうまく取り合わせている。

新繭の尊き糸を引出せり                          英子

 家が呉服屋なので、絹の糸の尊さをとても感じる。糸が尊いという言葉をよく使ってくださったと、句を見た瞬間すぐにいただいた一番好きな句。

日輪の溺れるほどに田水張る      絵津子

 この前、田水が満々と張られた、非常にきれいな田園風景を見て来た。そこに日輪が溺れるようだという表現、良くできている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 鈴木大林子 特選

出発の笛にたかぶる祭り馬   佐知子

 馬は神経が過敏で少しのことで興奮する。出発の笛がどういう意味を持っているか、馬は知っているらしい。競馬も同様で、人間はそれを利用している。魅力のある句。

下鴨の参道長し森若葉                征子

 下鴨神社には長い参道が、碁盤の目のようになっている。ストレートになっているところがとても長い。その周辺に広大な糺の森があり、改めて道の長さに驚いたと。

 

日輪の溺れるほどに田水張る      絵津子

 日輪が溺れるなんてことは実際にはないわけで、完全な誇張だが、太陽が溺れるかの如く田水がたくさん張っている。田水の張り方の景がよく出ていて、上手い。

 

  • 続いて蟇目良雨 二重丸◎の句

修司忌や戯れに擦る古マッチ      洋子

 最近はあまりマッチを使わないが、台所の隅で探していると結構出てくる。点くか点かないかわからないが擦ってみた、ということだと思う。この「戯れに擦る」だが、人生すべて戯れみたいなものでしょ。これで、世界がぐっと広がった。いかにもバーでもらったようなマッチではなく、どこかに残っていた古マッチというのもいい。

 

民話聞く真白き繭を手のひらに              知子

 説明のような句ではあるが、東北にはお蚕様にまつわる民話がある。「この繭が…」と手のひらに繭をのせて、話して聞かせる語り部がいたのでしょう。素直なわかりやすい句。

 

櫂の音の遠ざかりゆく四月尽      瑛子

 普段の四月尽なら意味が取りにくいが、今年の四月尽ということを頭において鑑賞しないといけない。平成から令和に変わった時代に、櫂の音が遠ざかっていく。一つの時代が遠ざかっていくことを連想させる効果がある。

似たような句に

肩の荷を下ろす人あり四月尽      民男

 があり、意味はわかるが「人」だと一般の人が肩の荷を下ろすようで、上皇まで思いが及ばない。「肩の荷を下ろしたまへる四月尽」などとすると、なんとなく高貴な人が肩の荷を下ろしたと想像できるのでは。上皇のこととわかる表現、仕掛けが必要。

 

仲見世といふ花道を荒神輿         絵津子

 浅草の三社さんの祭りだと思うが、うまいことをいうなぁと思った。確かに、あんなに狭い仲見世を神輿がどうやって通っているのだろうと想像してしまう。しかもそこは担ぎ手にとっても花道、見る人にとっても花道。「仲見世という花道」が効いている。

 

日輪の溺れるほどに田水張る      絵津子

 これは「溺るる」ではないか。様々に感想があったが、まさにその通り。「ほどに」で比喩だとわかるが、表現も的確でいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 一重丸〇の句

修司忌の森に水音鳥のこゑ        純

悪童に俳句詠ませよ修司の忌    民男

修司忌や桟敷に残る煙草跡        知子

黒々とうねる梁繭問屋                絵津子

野の草を引けば五月の雨香る    綾子

山藤に山が重たくなりにけり    絵津子

海峡へ銅鑼の一打や四月尽        知子

牡丹の散り際はしき修司の忌    久枝

荒神輿旧街道を踏み鳴らす        瑛子

 

  • 添削した方がいい△の句

修司忌や襞いまだ鋭き津軽富士              絵津子

「襞」だとただ山の褶曲したところだが、おそらく今の時期はまだ雪が残っている。そうするとはっきり言わないと。「修司忌や鋭き雪襞の津軽富士」というと実感がある。色彩的にも雪襞がまだ白く見えているとわかる。

繭玉を振りてかすかな音嬉し      佐知子

 繭玉はお正月のもの。作句した本人も玉繭の間違いだったということで。「玉繭を振りてかすかな音嬉し」でいい。

お神輿や揺さぶるほどに町の沸く          綾子

「お神輿や」だと切れてしまい、何を「揺さぶる」かわからない。「お神輿を揺さぶるほどに町の沸く」だと、はっきりすっとわかる。

修司忌や夜の新樹のみずみずし              瑛子

 いいと思うし意味はわかるが、少しゴテゴテしている。要するにリズムが悪い。「修司忌やみずみずしきは夜の新樹」にすると、修司忌らしくなる。

玉ねぎを多目にサラダ修司の忌              綾子

 なんとなくわかりづらい。「玉ねぎを多目のサラダ修司の忌」の方がいい。目的はよくわからないけど。

作者…修司に玉ねぎの有名な短歌があって、それで玉ねぎに(笑)。

逆立ちで歩く少年四月尽                    佐知子

 四月尽で逆立ちだとなんとなくぴんとこない。四月尽じゃなくて「逆立ちで歩く少年修司の忌」にしたらなるほど、となる。

一同…なるほど(笑)。

 

 

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蟇目…あと何かご質問は?

男性…「遺伝子が告げる神田の夏祭」の句、代々神田で育った人間は、本人が忘れても生粋の遺伝子が祭りを憶えているという意味で作ったが…。

蟇目…遺伝子が活きる場合もあるだろうが、この場合ちょっとぴんとこないのではないか。昨日、一昨日とちょうど神田祭だったが、神田祭で句を作るのは非常に難しい。久保田万太郎に「神田川祭りの中を流れけり」という句がある。神田川という名前があるから神田祭の時に出て来るが、実際は神田祭ではなく、台東区の方の別の祭りを詠んでいる。池上浩山人という、神田小川町で和綴じ本製本の家業を継いだ装潢師(書画を表装する人)に、「書痴われに本の神田の祭かな」という句がある。書痴は書物バカのこと。その句を目標に作っているが、なかなかできない。やはり神田祭は難しい。

 

▲俳句にとどまらず俳句他誌、俳句紀行文、作家研究、エッセイと活動のフィールドを拡げている多士済々な皆さま

 

★ちょうど句会の前日、前々日はすぐ近くで神田祭があったこともあり、今回の兼題の「祭」も実にタイムリー。「東京の下町に転がっている俗から風雅の誠を見出すこと」を目標に句作りをしているという面々の俳句は、日頃見ているだろう風景や事象を、そんな切り取り方や表現があるのか!! と唸ってしまうような秀句ぞろい。季語の奥行きや真意、日本語の豊かさを、改めてつぶさに見せてもらったような会でした。(木戸敦子)