徳江 和雄 様

『徳さんふれあい川柳集』(東京都・北区) 

▲卒寿を越えやる気に満ちた表情の徳江さん

 

 

『和柳ふれあい川柳集』に続き、5月に『徳さんふれあい川柳集』を上梓した徳江和雄さんにお話をお聞きしました。

 

Q 二冊目の句集です

 退職後に始めた川柳をパソコンに入力していたら、いっぱいに。紙に印刷したままではもったいないかなと思っていた矢先に、友人が川柳句集を送ってきた。見るとなかなか面白い、そんな話をしていたら甥っ子が御社を見つけて、おかげさまで3年前に『和柳ふれあい川柳集』という立派な本が出来た。あの時は途中で入院しちゃって、木戸さん病院に来てくれたね。川柳を季節、時事、生活、社会問題等に分け、題名も柳号の『和柳ふれあい川柳集』として、ちょっと固めの感じで作ったが、その時はいただく返事が「本をありがとうございました」のようなものが多くて、内容のことはあまり触れていなかった。

▲2冊目の川柳句集『徳さんふれあい川柳集』

 

Q それは残念でしたね

 それからも、どんどん作るから3年経ったらまたたまった。今回は、もっと親しみやすくしたらいいかと思って『徳さんふれあい川柳集』としてカラーも入れて作った。そうしたら、かつての教え子から「先生をしているときは年も上で近寄り難かったが、川柳を読んでみると怖くなくなった」ってね(笑)。せっかく作ったものだから、やっぱり読んでほしい。

 

Q 先生でいらしたのですね

 中学で数学と理科を教えていた。縁日に生徒と一緒に行ったり、キャンプへ連れて行ったりね。今でも何かあると、先生先生って言って集まってくれてありがたいよ。生徒に教えられることも多いし、教師と生徒はやっぱり一緒に勉強して育つような関係じゃないと。〝ひとそれぞれ定命受けて生かされて〟、〝生きている限りは常に張りを持ち〟など、「指針になります」とか、〝一筋に我が人生に悔いはなし〟の句には「先生、私も頑張ります」なんてね。川柳でも人を励ますことはできるのかなぁと思った。でもみんな他人事だと思って、「第三集も出して」なんて手紙が多いんだよね(笑)。

 

▲『徳さんふれあい川柳集』に対する手紙の数々

 

Q どんな日常を?

 妻を亡くして8年、朝起きて仏壇にお水やお茶をあげて、自分の食事の用意をして食べるともう10時過ぎ、片付けをして一休みするともう11時。だからお昼は、小さいお菓子を二つくらい食べて牛乳飲んで。体力がないと動けないから夕飯は食べるようにして。録画しておいた映画や鬼平犯科帳等の時代劇を、お茶飲みながら観るのが至福の時。もうねぇ、90歳を過ぎると何するにも大ごとでね。それでも自治会で「ふれあい川柳」として、教えているというより仲間と一緒に川柳をやっているので、みんなの作品をパソコンに打ち込んで印刷して、そんなことばっかりやっているよ。この年で少しでも皆さんの役に立てるのはありがたいなぁと思って。じゃないと友だちみたいに電話をよこすたびに「早くお迎えが来ないかなぁ」なんて。「そんなこと言ってるやつは長生きするんだよ」って話しているけど(笑)。

 

Q もともと川柳を?

 小学校の先生が川柳を好きで、よく話を聞いていたけど、小学校の頃から戦時色が入って軍国少年に育てられた。中学に入ると動員が始まり、3年になったら毎日亀有の工場に通うように。特攻の飛行機のプロペラを作る材木を削ったり貼り付けたり、そんな仕事をやらされた。ようやく、退職してから毎日の出来事を日記のように五・七・五で詠み始めた。自分のことだけだと範囲が狭くなるから、世界情勢なんかも取り入れて。いつお迎えがくるかわからないけど、死ぬまで興味と関心を持って頑張ろうと思っている。生きているからには社会のお世話になっているわけだし、恩返ししたい気持ちはある。まぁこんなこと言ってるけど格好よく言ってるだけ、嫌な時もあるよね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q これからは?

 脳トレは川柳づくりとパソコンいじり。そして、みなさんと一緒に楽しむこと。長く生きてきたけど、ほんとあっという間だね。地球の自転が早くなったんじゃないかと思ってるけど(笑)。でもね地球ができて46億年だっけ?それを考えると、我々の100年なんてほんの一瞬。だから生きてるうちが華だよ。お宅の会社もみんな頑張っているけど、それが一番いい時、今考えるとね。

 卒 寿 過 ぎ 昭 和 平 成 夢 の よ う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★お電話でもお会いしても明るく通る声でお話くださる徳江さん。一軒家に一人でお住まいで、伺うとすぐにお茶を入れてくださる。からっとしていて生粋の江戸っ子で、親しみやすく、ともに学び合うという姿勢が一貫している。人が慕うのがよくわかる。(木戸敦子)