髙野春枝様

『日々のつれづれ2』(埼玉県・上尾市)

▲「姉と妹と井戸木(地名)の三婆は健在」と笑う髙野さん

 

 昨年10月に二冊目のエッセイ集『日々のつれづれ2』を出版された髙野様に、ご自宅でお話をお聞きしました。

 

Q 旦那様といいお写真ですね

 ダイヤモンド婚式っていうの? 市から招かれてその式典の朝、孫が撮ってくれた。夫は今91歳、穏やかで真面目な人で、わがままでお喋りな私とは正反対。だから喧嘩にもならずに60年やってこられたのでしょうね。結婚前、高尾山に行ったとき、祖母がおにぎりを5個新聞紙にくるんで持たせてくれた。あまり喋らないしつまらない。結婚しなくてもいいと思っていたので「これ私のだから私は3個、2つあげるわ」と。きっと家に帰ってから母親に言ったんでしょ「女っぷりは悪いけど、食いっぷりはいい」とかなんとか。そしたら「じゃあ丈夫だ」ということで、結婚することに(笑)。

 

▲結婚60年のダイヤモンド婚式典の朝

 

Q 健康なのですね

 そんなことないのよ。7か月足らずで生まれたから身体が弱くて、往診に来た先生が白い布をかぶせて帰ったってくらい。所帯持ってこの土地に戻ったら、その時のI先生が「あっ、死んだ春枝ちゃんだ!」って(笑)。だから結婚前に勤めていた時も、不安で社員旅行に行ったことがなかった。それが今では、息子夫婦に「死ぬのも忘れてごめんね」という始末。一昨年、大腿骨骨折で40日間入院した時は休んだが、50歳の時から36年間毎朝欠かさず歩いている。昨日と今日では空気も景色も会う人も違うし、句材が転がっている。ウォーキングをして夏は風呂に入り、お茶を飲みながら新聞に目を通すのが日課。

 

Q 書くことはお好きだった?

 8人兄弟で田舎の兼業農家だったが、父は「少女の友」や小学生新聞を買ってくれ、家ではリーダーズダイジェストも取っていた。そこに投稿したのが最初。出版社に勤めていた叔父は、よく本を持ってきてくれた。同じページが重なっているような出来損ないの本。そこに穴を開けて糸を通して、トイレに吊るすの。落し紙にって。だから年中トイレが長いって怒られた(笑)。読売新聞や埼玉新聞に投稿するようになったのは、娘が小学校3年生の頃。今は掲載前に事前に連絡があるけど、ある日自分が書いたものが載っていてびっくり。父は91歳で亡くなったが、死ぬ直前まで父を慰めたのは読書と新聞。私の掲載記事は切り抜いて、何度も読み返していたらしい。

 

Q『日々のつれづれ2』を出版された経緯は?

 なぜか俳句も書くことも始めたら止めないの。だから別れることも知らずに60年(笑)。新聞投稿と『こだま』に掲載された原稿と俳句を入れて一冊とし、今回は二冊目。『こだま』は読売新聞「ぷらざ」の投稿者によるグループ「こだまの会」が、年に3回刊行している文集で欠かさず投稿している。他の方はダンスの全国大会に出たり、カラオケで優勝したりと何事かを極めているのに、我が身を振り返ると何とも中途半端な生き方をしてきたと反省しきり。記憶は不確かとなり、5年10年の誤差はざら。だから記録するのは大事なこと。読み返せばある程度時代がわかるし、いい悪いではなく、身内にだけでもささやかな記録を残しておきたいと思った。

 

▲時々のエッセイと俳句からなる『日々のつれづれ』2冊

 

Q これからは?

 あと15年きりなんですよ、100歳まで(笑)。何の準備もないが、月の世界に行ってみたいと年中言っている。そうしたら「初夢や月への旅の切符手に」のごとく、初夢に見た。最近、ホリエモンや前澤友作さんを見る目が変わった、どうすり寄ろうかと(笑)。根気はなくなってきたが、これからも休みなく書き続け、一番年寄りだからと祭り上げられている俳句の会もできる限りは続けていきたい。

 

★何度かお会いしたが、駅からご自宅まで切れのいい運転で颯爽と送り迎えをしてくださり、お茶を出してくださる際には「適当な裏表千家です」といつも笑わせてくれる髙野さん。60年の月日の中には、病を得た旦那様をただただ寝たきりでもいいから死なせないようにと内職で支え、二人の子を希望の学校にあげた話、無理がたたり自身も病を得た話、月500円の会費が払えずに俳句の会をやめた話など、活字にはできない話がまだまだあった。

 形なきものの重さや十二月 春枝

 悲壮感を全く感じさせないその生き様は、中途半端どころか、奥義を極めていると感じた。(木戸敦子)